親にも友達にも話せないから、とりあえず書いてみます
板違いだったら移動します
聞いてくれる人がいたら付き合ってくれると嬉しいです
簡単にスペック
大学4年
実家から出て一人暮らし中
バイトは2年前に辞めて以降してない
まず最初に異変?が起こったのは今年の3月、つまり3年の年度末
朝起きたら動く気力が全くなく、研究室に行けなかった
それが一週間くらい続いたんだけど、原因は栄養不足かなと
その頃は、
朝 シリアルと牛乳
昼 食堂か購買の弁当(実験が忙しいと抜いたり)
夜 家で簡単に作るか、コンビニで買ったもの
元々実家にいた頃から食事はしっかり摂らないとすぐに弱る体質だったのに、忙しいのにかまけて食事をおろそかにした結果だったと思う
その時は春休みも近かったので、担当のスタッフの勧めで早めに実家に行って休養してた
親に経緯を説明したら、そりゃあ食べないとそうなるわ、と呆れられたね
それから実家にいるうちはしっかり食べさせてもらって、春休みが明ける頃にはだいぶ元に戻っていたと思う
大学に戻ってからも食事は気をつけた
まず朝は絶対に米を食べるようにした
お茶漬けでも梅干しでも、とにかく米を食べたほうが腹持ちも摂取カロリーもいいと思った
さらに、夕方にパンなど間食もするようにして、夜も食堂か購買で食べるようにした
それでも帰ってから空腹を感じるようなら家でも普通に夕食を取った
最初は学校の食堂や購買はコスパが悪いと思って利用を最小限にしてたが、一度倒れてからはそんなこと言ってられないので、むしろ自分で作ることを減らした
とりあえずその後の4年の時はそれなりに普通に研究して、生活してた
んだけど次におかしくなったのは7月
まだ夏休み前
また大学に行けなくなった
しかも今度は睡眠に影響が出てた
夜寝付けないし、朝起きる時には息が上がってる、心臓もバクバク
食事には気をつけていたつもりだったから、頭の中は???状態
自分でも様子がおかしいことはわかっていたので、とりあえず心療内科みたいなところに行ってきた
そこで先生といろいろ話したんだけど、その中身を覚えてる分は書いてみる
研究室にいるのは朝の8時から夜の10時か11時まで
食事は、朝7時、昼は不定、間食もして最後に食事するのは11時頃になることも多い
睡眠は早ければ12時に寝て、朝は6時過ぎに起きる
これは自分の感覚では足りなくて、寝付きも寝起きも悪いからさらに眠りはよくない
土曜は半日だけだから、朝は9時からで16時くらいには帰れるけど、オンライン学会やセミナーがあると18時以降まで残ってたりする
あとは家庭環境とか、高校以前の話を少しした
家庭環境といっても大したものはなくて、たぶんその人のバックグラウンドを確認するとかそのくらいだったと思う
この研究室は、自分で行きたいと思って選んだ
その時言われてたのは、コアタイムは9時から21時で、他の研究室と比べるとブラック寄りってことだったけど、そのくらいならまあ大丈夫だろうと思ってた
やりたい分野の中では一番自分の肌に合っていた部屋だと思って選んだ
病院で先生といろいろ話した後から、実はこの生活が自分には合っていなかったんじゃないかと思い始めた
まず、6時間睡眠で自分にとってはぎりぎりか足りないくらいなのに、さらに睡眠の質が悪い
食事も、時間のあった1、2年の頃はずっと自分で作ってたのに、急に外食やコンビニに切り替えるなんて、カロリーは足りていても体には合っていない
あとそもそも8時から22時まで研究室に居るとかそれが無理なのだろう
実験系はある程度そうなの?
>>13 遅くなってごめん少し寝てた
全部が全部そうってわけではないけど、僕が帰るときにはまだ電気ついてる研究室が2、3箇所ある
先輩や同期はその時間でも8割くらい残ってる
確かにコアタイムは長いけど、昼とかおやつとかは結構自由に休憩とれるし、夜も帰る時間だとスーパーが閉まっているから報告すれば買い物もいっても大丈夫だった(結局作る時間がないのであまり行かなかったけど)
割と融通が利くいい研究室だなと思って過ごしてたんだけど、自分には合ってなかったみたいだ
まあそんなことが、しかも2回目だったから、さすがに少し考えさせられたのよ
うちの研究室、というか学科全体なんだけど、理系なら当然なのか、まあ院行くのが当たり前みたいな風潮だし、実際ほとんど進む
僕も入学したときから修士までは進もうと思ってたし、院試に向けての勉強も少しだけどしてた
そして決定的?だったのは、救急車のお世話になったことだったと思う
といってもリスカとかオーバードーズではなくて、まさかの熱中症
前日同期飲みしたアルコールの影響もあったのだろうけど、いくら真夏とはいえ、建物外を歩いてる時間が15分程度だったのに倒れてしまった
正確には嘔吐頭痛めまい下痢がひどかっただけで意識はあったから、帰りに内科かどこかに寄って点滴でもしてもらおうと思ってた(その時点で口から水分は取れなかった)のだけど、自宅の最寄駅に着いてから限界になって救急車呼んだ
入院は一晩だけだったけど考えたよ
本当にこのまま大学院に進んでいいのか
結論はnoだった
現実的に、このままでは体が持たない
今の時点でも支障が出てるのに、そんな生活がさらに2年延びるのはどう考えても無理だろう
しかしやっている分野はそれなりに好きだったし、実験も楽しかったつもりだ
だから悩んだが、やっぱり現実的に無理という結論になった
一応結論は出たけど、親はたぶんまだ院に進む道はないかと思っている気がする
一旦状況を整理すると
院進するつもりだった22歳大学4年生の夏に、院進を止める
という状況
当然卒業した後どうするか別の道を決めなければならない
院進予定なので就活については何も準備していないし、知識もない
しかしそんなことも言っていられないので、とりあえず就活することにした
体が不調だと気力も低下し、この頃はやる気というものが全く無く、それなりにやっていたゲームさえも楽しいと思えずできなかった
そんな状況でも、院進しないためだからか就活は多少できた
研究室選びの際は、自分のしたい分野で、ある程度忙しいことを覚悟で今の研究室を選んだが、就活では違った
自分で調べられる範囲ではあるが、残業が少なく、休みの多い会社を探した
時期としては既に夏
誰もが名前を知っているような大企業は採用活動が終わっている時期だ
就活のスタートが出遅れ、知識も技術もない自分が内定をもらうにはどうしたら良いかと考えた
その時点で残っている求人は、何らかの理由で不人気な点があるだろうと考え、一般的には喜ばれないが、自分にとって許容できる不人気な点を使って探した
僕にとっては勤務地と転勤の有無、さらに言えば給与だ
どうせ一人なのだからどこに引っ越しても大丈夫
金のかかる趣味はないし、温泉や旅行は好きだが行くのは一人、それに予算は計画の組み方でどうにでもなるから給与はそこまで高くを望まなかった
運良く内定は頂いた
自分が探せた中では一番条件があっている会社だった
研究室と合わないということには触れていないが、自分の性質と採用方法が噛み合っていたのか、本当に運がよかった
これが8月の話
もし質問があれば聞いてほしい
その都度答えるか、後の話で触れるから保留するかは内容次第だけど、反応はします
そんなこんなで夏休みが明け、後期になってまた研究を再開した
院進はせず、内定は頂いたことを担当スタッフには伝えた上で、無理せず卒業できるように研究活動を見直すことにした
幸いにも、僕自身について何か言ってくる人はおらず、皆むしろ無理しないで卒業できるように応援してくれていた
しかし、今度は自分自身の問題だった
まず前提として、自分はそこまで無能ではないと思っていた
高校では部活も勉強もそれなりに取り組み、決して優秀ではないが文句を言われるような学校学科に進んだとも思っていない
1、2年の頃も普通に講義は受け、たまに再試となりながらも必要な単位はしっかり揃えていた
(数学だけはどうしても苦手で、一度落としてしまったが別の講義を取り直した)
そう思っていたのに、いざ研究を始めると、そもそも研究室生活に適応できていない
中身以前にスタートラインにすら立てていないのだ
僕はそんな有様なのに、先輩や同期はその忙しい中、さらに遊んだり、バイトしたりしている
人間は全て同じではないし、出来ること出来ないこと、向いていること向いていないことがあるのは理解しているつもりだ
それでもやはり思ってしまう
どうしてそんなに彼らは元気で、自分はこんなにできないのだろう、と
さらに、僕は実験があまり上手くはない
簡単に言うと雑なのだ
意識の中でも、少しくらい、というのが抜けないし、手先も器用ではない、というか震えて細かい操作が苦手だ
そのためデータがあまりきれいではなく、何工程もやり直すことが少なくなかった
研究なんて普通はそんなものなのかはわからない
他の人と比較して実際どうなのかもわからない
しかし、これもやはり思ってしまう
僕は出来が悪いなと
研究室に行こうとすると具合が悪くなる
かといって他のことを積極的にしようとするでもない
気力がなく、寝て過ごすことが多い
そうなればせっかく頂いた内定も無駄になってしまう
この程度の状況で活動できないなど、きっとただ僕が甘いだけなのだろう
世間一般では、このくらいのことはなんとか乗り越えて、皆必死に生きているのだろう
それが当たり前なのだろう
でも、今の僕には無理だし、どうすればよいのかわからない
ねこ撫でると幸せな気分になるよ
そうなのか
猫も含め動物は嫌いではないのだが、僕が嫌われることが多くて逃げていってしまうんだ…
思えば、僕は努力して何かを乗り越えた、手に入れたことがなかったような気がする
高校までしていたサッカーは、嫌々ではなかったが練習はさせられらものだった
受験も、特に目指したわけではなく、周囲に舐められない程度の場所で、自分の手の届く範囲を受けたに過ぎない
人とのつながりのために自分をよくしようともせず、むしろ他人に合わせようとするのがしんどかった
こうやって文字に起こしてみて改めて思うと、自分に甘い努力しない人間が、大したことのない壁の前にうずくまっているだけなのだろう
そう思っても、いざ当事者となるとどうしようもないものなんだな
2ちゃんスレ文字起こし?みたいなものには多様な境遇の人物からの書き込みがあり、それを見て、自分も書けば何か変わるかなと思って書いてみた次第だ
凄惨な親や同僚、恋人がいるような人からしたら、僕は環境としては恵まれているのだろう
非難する人は一切おらず、むしろ応援してくれる
とりあえず誰かに聞いてほしくて書いてみたが、事実が整理できて余計に惨めになっただけだな
もし見ている人がいれば、
こいつは何がしたくて書き込んでるんだ
と思うかもしれない
僕もわからない
意味があるとすれば、ある一人の大学生の生活がわかって、大学を目指す高校生の目に入る可能性だろうか
僕は研究室選びの時点でこの生活をある程度認識していたのに、まあ大丈夫と重大に考えず、結果としてこうなっている
もちろんこれは僕が弱いせいなのだが、大学はこういう場所なのだ、と知ってもらえると、なにかの役には立つかもしれない
もっとも、4年前の僕が同じ内容を見ても、今の状況を回避できたかは自身がないが
とりあえずこんな感じで
今日中はちらちら覗きに来ますので質問くれると喜びます
時々来るね
まだ若いんだからなんとでもなるにゃん
マジで
ありがとう
僕のは大したことのないと思うんだけど、今まで躓いたことがなくてどうすればいいのかがわからんって感じかな
の学歴にこだわる人、いますか?
>>49
学歴に拘るってのが、「文句を言われない学校学科」ってことかな
自分では拘ってないつもり
文句を言われないってのは、当時特に成績良くない割に、勉強もあんまりしなかったから、それについて教師陣に文句を言われないようにっていう経緯かな
引用元: ・卒業間近なのに大学に行けなくなった話